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第2回

「米・コンコード・ジャズ・フェス」

はい! 大変お待たせしまくら千代子(?!) 8月の米コンコード・ジャズ・フェスのお話だよ。

長年ミュージシャンをやっていますが、とにかく1万2000人もの観客の前でジャズを演るのは初めての経験、ホントに感激しました。
会場の「コンコード・パビリオン」は山の中に有り、サンフランシスコ市内から車で約1時間。お客様はみんなわざわざ1時間かけて町から出てくるわけで、かなりのジャズ通か出演者の大ファンばかり。ということで、相手はかなり手ごわいはず・・・・・
ところが、おかげ様で手ごたえは充分でした。私たちのショーが終わった後に他の出演者のステージを見るために会場内に行くと、あちらこちらで取り囲まれてしまい、ご婦人たちが僕にも分かる英語で「ナイス・ショー!」「グッド・ミュージック!」「マーブラス!」などと口々に言ってくれたのです。中には涙ぐんでくれた方もいて、もうこちらのほうが「涙!涙!」でした。

私たちの後はローズマリー・クルーニー&カウント・ベーシー・オーケストラのステージ。ロージーさんは御年70才にもかかわらず歌に全くの衰えを感じさせず素晴らしいの一言。まさに底力を見せつけられました。
ジョン・ピザレリは歌もギターもとにかく最高、マンハッタン・トランスファーは僕にとっては懐かしく、楽しく聴かせていただきました。

まあ、コンコードの話を詳しく書こうとするととても書ききれないので、雰囲気をご覧になりたい方は「ふと見るとフォト」をぜひご覧下さい。詳しい現地レポート&写真を見ることができます。(by 清水宗治氏:谷口君のホームページの製作者で現地に同行取材してくれました。レポートも写真も素晴らしい!)

さてその後、メンバー全員でラスベガスに遊びに行ったのですが、これまた想い出に残る大変楽しい旅でした。

以前のラスベガスはカジノ(ギャンブル)の街でマフィアが居て・・・・・というダーティーな印象が強かったのですが、今は一番がファミリー、二番目にショー、次にカジノ・・・・・と、街のイメージが一変しました。とにかく治安がバツグン! 老若男女が24時間安心して遊んで楽しめ、アメリカ人自身が「一番行きたい所」という憧れの街になったのです。

私たちはというと、毎日毎日時間を惜しんでショッピング、ショー、音楽(「マンデイ・ナイト・ジャズ」というビッグバンドのライブ他・・・素晴らしかった!)そしてちょっぴりカジノ・・・・・と大忙し!
結局カジノの方は「ギャンブルの達人」コニタンだけが大勝ちするという予想通りの(?!)結果に終わりました。流石! ちなみに最終日の全員のディナーは彼がご馳走してくれたのでした。人のお金で食べたディナーはオイシ〜イッ!! (コニタン、ごちそうさまでした)

バーニーも色々と面白いエピソードを提供してくれました。

ラスベガス滞在2日目のことだったでしょうか。夜中の3時頃にカミナリの大轟音で目が覚めてしまった私たちは翌朝「すごかったね、カミナリの音! でもあんな時間だから外に居た奴はきっとよっぽどの嬉しがり屋かお調子者だよね!」と話をしていたところ、バーニーが「実は・・・・・」
彼はその時、まさに一人でビデオカメラ片手に街を徘徊していたのでした! 滅多に雨の降らないラスベガスでカミナリ付の大豪雨でビショヌレになった日本人なんて、まずバーニーぐらいでしょう。

また、みんなでタクシー移動の時、最後に乗り込もうとしたバーニーが体半分しか乗っていないにもかかわらず何と車が発進! バーニーは「片足ケンケン」で必死に車にしがみつき、そんな咄嗟の時の彼の英語(発言?)は「アワ、アワ、アワ、アワ!」・・・・・・「ノー!」とか「ストップ!」とか子供でもわかる英語が言えんか!・・・とみんなに大笑いされたのでした。
まあ私もエラそうなことは言えませんが、”人のフリ見て我がフリオイグレシアス”(何や、ソレ!)

というわけでまた次回をお楽しみに!

(99年12月記)


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